[2026]09月13日|【報告書】「そのかたちに耳をすます」
野口晋哉(技術研究員・専務理事)が主宰する「全生新舎」(狛江稽古場に併設された野口晴哉記念音楽室において、レコード鑑賞会を軸に文化・芸術に関わるさまざまな企画を行なう)による1プログラムとして野口順哉(技術研究員/常務理事)が詩人・吉増剛造、翻訳家・岡本小百合と共に登壇したイベント「そのかたちに耳をすます」の報告書(覚書)を掲載いたします。

「そのかたちに耳をすます」覚書
野口晋哉(晴風学舎専務理事/全生新舎主宰)
さっきまでこの日の録音の文字起こしを読んで清書してたんだけど、ダメだね、諦めた。文字で読むと、あの日、あの場所に集まった総勢70名の聴衆が、3人から受け取ったものが伝わってこないんだな。まあ、あたりまえだが。
この日は珍しく参加してくれた方々がDMで感想をくださって、そしてそのほとんどが、会話の内容は理解できなかったが、何かを経験した、それがまだ残ってる。という内容だった。
音楽室で交わされたものは言葉だ。でも声の速度や、吉増さんが声を落とした瞬間の間とか、3人の長い交友期間や、生徒と先生、翻訳家と作家の関係性から来る緊張感とか、笑いや、答えの前の沈黙など、その場にいた人が受け取ったものの多くは、言葉の外にこぼれていて、僕たちは言葉を聴きながらそれをじーっと観ていたんだと思う。
「これからも宛名のない手紙を書いていきましょうね」という吉増さんからの言葉を受け取った順哉が「往復書簡みたい」だったと鼎談後に言っていた。言葉を真正面から受けず、時間をかけて、お互いが肩を透かしながら、言葉を紡いでいるような時間だったと。
内容はさっぱりわからなくて良いと思うのですよ。たぶん言葉は後からあの時の経験に追いついてくると思います。
僕的なピークは、吉増さんのめちゃ本質的な話を聞いた岡本さんが「やばい泣きそう」と言って、僕が代わりに泣いた時笑
そして、僕らの父であり整体の師でもある野口裕之が、吉増さんの詩を読んで「批評」した。その言葉を順哉が伝えると、吉増さんの声に明らかにハリが出てきた時。(2人の対談実現しないかなあ…)
あと、なんと言っても、柿本人麻呂の歌を吉増さんがサラッと読んだ時の声ね。
以下は、その日どんな話題が立ち上がっていたかの覚書です。
その前に、聞き手をつとめた岡本小百合さんが、この会について書いた文章を掲げておきます。
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Poetry alone can speak about poetry.
(詩は詩のみが語る)と無言裡にかたるかのように
これほど公演も著書も多い大詩人が
「詩」そのものを、とりわけ自身の詩の
しかもその「核心」を
(触れられはしない、「ある」のかもわからない、だから近づこうとして、それを延々と繰り返すことで、どこまでも小さく浮彫にしようとする、そうすることでのみ「核心」とでも「泉」とでも「poesy」とでも仮称しようとしてきたそれ——その繰り返しの軌跡こそが「それ」である、あまねく「詩」の「芸術」のこころである「それ」——) を詩以外の言語で
平明に
自己演出なしに告白的に
辿り辿り率直に—
「語る」ことは今までなかった。——岡本小百合
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岡本さんの言う「それ」に取り組むのは、ほんとうに孤独な作業だと思う。僕は、晴哉も同じだったと思っている。そして、たぶんこの孤独は継げない。継げるのは答えではなく、掴めないものに手を伸ばしつづけるその姿勢の方だから、それは代ごとに、一人でやりなおすしかない。
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- 宛先のない手紙、差出人のない手紙 — 吉増さんが電話で言った「これからも宛名のない手紙を書いていきましょうね」から会が始まったこと。手紙は宛先を持たないと同時に、差出人もだんだん消えていくということ。
- 「その形に耳を澄ます」 — 『静かな場所』の一節をタイトルに借りたこと。順哉が茶碗を「耳を澄ますように」見たら、目で見るのとは全く違う感覚になったこと。
- 耳を澄ます、を翻訳する — 岡本さんが十年以上、この一文の英訳に完成稿を持てずにいること。「翻訳できるか」という問いの奥に、「この日本語を自分はどう感触しているか」という問いが潜んでいること。
- 響きが映り始める — 「すます」をひらがなにすると響きが映る、という吉増さんの一行。何の響きが、どこに映るのか、その両方が不明になっていくことの面白さ。
- リズム=形(リュトモス) — 反復するうちに形が奏者と聴衆に共有され、「そろそろあれが来るぞ」の「あれ」が思いもよらぬものになったとき、両者が共にびっくりする。その垣根が消える瞬間のこと。
- 形=知(ち) — 「かた」は型、「ち」は気・命・知に通じる音。フォームやシェイプが立ち上がる、その一点を動かすことを「形」と呼ぶのではないか。本質と形を分けるのとは違う「形」の捉え方。
- 小文字の筆記体の「i」が好き — 大文字のIより、小文字筆記体のiが好きだという感覚。柿本人麻呂の歌に潜む「い」の音への、五十年来のこだわり。ささやかな一点にこそ核があること。
- 灰色のクレヨン、未知の色 — 能登・珠洲を訪ねる前、手が無意識に灰色のクレヨンを握っていたこと。それがフロイトの言う「無意識」とは違うこと。明治以降に流入した色彩の手前にある中間色、消す力、継ぎ木する力のこと。
- ツェランの「ストレッタ」と灰(Asche) — 継ぎ木、重なり、緊迫。そして灰というテクスチャーが背負う歴史。岡本さんがその場で結んだ糸。
- 沈み・くぼみ・ほほみ — 動詞「沈み」の全体性、「くぼみ」で全体を書こうとすること、「ほほみ」が読み解けない全体であること。えくぼ・くぼみをめぐる柳田國男の話、映画『インディア・ソング』の河原のくぼみ。
- 原爆の「シュポッ」という音 — 原民喜が聞いた、母音を伴わない子音だけの音。声にできないものを、やむを得ず声にすること。ジョイスの無音のGHに潜む愛(i)との、遠い響き合い。
- そうせずには済まない心 — 翌朝には返事を書かずにいられない速度。白板を持ってこさせ、その場で書かずにいられない衝動。それを「風琴を釣る」——震えを感受したら、応答せざるを得ない——と読んだこと。
- 号泣、死に面したときの声 — 朗読のとき、自分が死に面したときに出すであろう声が、今のこの声を引き出しているという吉増さんの気づき。だから倒れるのかもしれない、と。
- 生命への礼、魂 — 生命や魂は、原因として仮に立てられた観念かもしれないこと。祖父・晴哉の「生命への礼」をいわゆる「治療家」に向けられた言葉に過ぎないもの=仮の名詞として捉えなおすことで、それと自らの形で出会い直したい=動詞化したいと思っていること。音として聞いた「たまし(い)」の感触から、言霊へ。
- 線は存在しない — 線なんてもともとなく、あとから「線と呼びましょう」というだけ。手紙の封の印に、線ではなく点で変な模様を書こうとする——その時間こそが、手紙を書くことの一番大事なところだということ。
- AIの時代に、「わからない」を共有する — わかる・言語化できる・共有可能であることを前提に進む時代に、「わからない」ことを確かめ合える場の希望。ここに聞きに来て、震えを感じながら聞くことの、代え難さ。
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言葉になる手前のものに、この日、私たちは耳をすませていました。
